この日記帳の意味

Posted on August 29, 2019 08:01

日記は人に見せるものでもないと思っている。それでもこうして公開日記をつけることにしたことに、自分にとってどういう意味があったのかを毎日考えている。

Twitterをやめて少し時間が経った。

なんか1ヶ月を気にするのも面倒だなと思っている。気がついたら1ヶ月経っていました、もう戻せませんね、くらいのオチであってほしい。もういつアカウントを消したかも覚えていないし、そうして、忘れられるように全てが終わってほしい。 Twitterだけの関係の人とは関係が切れてしまう。それでも、忘れられるようにいなくなることが、自分の望みでもあったような気がする。

Twitterをやっていようがいまいがあまり関係ない。結局日々の生活は苦しいままだし、Twitterをやめたことにそんなに意味があるとも思えない。友人が「Twitterやめたほうがいいよ」というのは、そういう発言をする場を失った私が、あたかも調子がいいかのように見えるからだろう。

だから、Twitterをやめるとか、やっていないとか、誰に見られているとか誰を見ているとか、そういうことで消耗するくらいなら、全て忘れたほうがいい。

そういう意味では、この日記帳はちょうどよかった。

何か書こうかと思ったときに、Twitterではなくここに書けばいい。ここは文字数制限もないし、変にブロックされたりミュートされたりを気にする必要はない。 Twitterと違ってこれを読む人は読みたくて読んでいるわけだから1、Twitterみたいに書く内容について神経質になる必要もない。そもそも誰が読んでいるのかもわからないし、私も流れてくる他人の言動にいちいち神経質にならなくて済む。

私は頭が悪いから、みんながTwitterに零していく言葉の一つ一つを拾ってなんとかその想いを知りたいと思ってもそれも上手くいかない。下手だから上手く人に想いを伝えられずに終わってしまう。人の心がわからないから、簡単に人の地雷を踏んでしまう。ここに引きこもっていれば、そういうことを考える必要がない。ダメ人間だね、こんなの。

色んな人に嫌われたと思う。謝ったってしょうがないことはわかりきってるし、あまり意味がないこともわかっている。それでも謝っていないのは怠慢なんじゃないのか。そもそも謝って許されることなのか。私の謝罪は聞き入れてもらえるのだろうか。そもそも私は誰に何を謝らないといけないんだろう。

どうせまたいつかTwitterを始めるんだろうと思う。自分に今ある場所を手放すことなんてできやしない。

どうせ一生死ぬことなんてできない。 10年以上自殺できてないんだから。

この日記は、誰かに見られているかもしれない想定で書いている。それでも、恐らくこの日記を読んでいる人なんていないだろう。 Twitterは思っていたより人に見られていたから、今度はもっと人に見られてなさそうなところで。それでも人から見られている可能性がある、くらいの感じが自分にとって都合がよかったんだろうと思う。だからこの日記帳を作ったし、こうして日々書き残している。

もう疲れたのでこの記事もこれくらいにしようと思う。この記事は他人の干渉を受けにくい。面倒になったらリポジトリごと消せばいい。この日記帳には人間関係は発生しない。していても気付かないだろう。読む人が勝手に読んでいるだけだからあまり気にする必要もない。本当は気にしたほうがいいのかもしれないけれど、そもそも読んでいる人なんていないと思うし。

この日記帳に意味はない。


  1. Twitterも読みたくてフォローしているという意見がありそうですが、実際のところTwitterでの関係性と現実での人間関係との結びつきが強く、他の人がどうTwitterというSNSと接しているのかわからない以上、どうしても神経質にならざるを得ないですね。まぁ神経質になるなら普段のツイートももっと気をつけろという話ですが……