前の記事、保存場所とファイル名がめちゃくちゃで驚いてしまった。
今日は社の人とお話をする会があるのでお酒を飲んで不安を抑制した後に寝ようと思っていたが、不安は収まったものの寝る気になれず結局こうなってしまった。うーん、寝る努力……
人間は誰も救えていないし誰も本当には救われていないよねという話をしたくてまたエディタを開いた。
下手に救われたような気持ちになるのも救いたいと思うのも本当に馬鹿らしいなと思ってしまった。それはそうとして、多分私はこれからもそういう行いをして、そういう感情を抱き続けるわけですが。
本当に救いたいと願っている人が何で救われるのか、或いは自分が一体何で救われるのか、そんなことをわかるなんて不可能で、誰もがそんなすれ違いで傷つけあってしまうものなんだろうと思う。正直自分でも今自分がどう救われたいのか全くわからない。
一体何が怖くて、一体何が悲しくて、それが全くわからないけど、ただ、結果人と話せなくなってしまったことが悲しくて仕方がなかったことだけわかっている。脳の中で起こってる反応に付き合わされて、全てを燃やして、感情を噴出することしか出来なくなってしまった。
こういうのは自分が出来なかったことへの言い訳なんじゃないかとずっと自分のことを恨んでいた。
自分が救えなかったこと、救われなかったこと、そういうことへの言い訳として都合がよかったんだと、そう思うとまだ何か望みがあるような気がしないでもない。言い訳なら、真理ではないなら、救いがまだあるから。
ましてや自分が本当に好きな人に救われるなんてことはできるわけなかったんだなぁという当たり前のことにふと苦しみを感じたりするが、そんなのは当たり前で、それを苦しく感じるのは流石にわがままみたいなもんだろうと思う。それともまだ希望はあるかな?
僕は君にヒーローの幻想を抱いていたんだね。